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2003/01/20修正
首相公選トーナメントの巻・第1話 「初めての国民投票・争点は憲法第67条」
西暦200A年。
年号がそれまでの「平成」から「原立」に改められました。「原点に立脚する」「原点に立って考える」という意味が込められたのです。この改元をきっかけに「原点に立脚して本質を把握する」とか「原点に立脚して抜本的に改革する」という慣用句が好まれるようになりました。
これも日本を大きく変えた要因の一つかもしれません。
年号のイニシャルはK(慶応)M(明治)T(大正)S(昭和)H(平成)と続いたのですから、次の年号の最初の文字がABDEFGIJOPRYUWのどれかになることは予想されていましたが最終的には「G」が選ばれました。大方の国民は「心機一転を期して改元されるのだから多分イニシャルをAにする文字になるだろう」と予想していましたが、それは外れたわけです。
いままで年号は「一世一元」と言われ、天皇の代替わりの時に限られていたのですがですが、この「平成」から「原立」への改元は、天皇の代替わりがあったわけではありませんでした。大多数の国民のある「願望」と「決意」とがそうさせたのですが、その辺の経緯を述べるのは、別の機会にいたしましょう。
その原立新歴1年の1月。日本でも、とうとう国民投票が実施されることになりました。それまでにも国民投票の実施を求める声はありましたが、「では最初の国民投票で何を国民に問うのか?」ということになると、「これだ!」と言える争点が一致していなかったのです。
「原子力発電の賛否」や「日米安保の是非」「天皇制の存続」なども「国民投票で決着すべきこと」として議論されてきましたが、「国論を二分すると国情が安定しなくなる」ことが懸念されて実現されなかったのです。
むしろ「国論が二分している」ことに「決着をつける」のが国民投票の意義なのにもかかわらず、「国論が二分するから国民投票は避けよう」という馬鹿げた論理が通用してきた時代が長く続いていたのです。
「この日本で初めての国民投票にかけられたテーマは「首相公選制の是非」だったのです。
それまで、日本では憲法第67条で「内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決でこれを指名する」と定められていました。
どんな小さな町や村でも、村長や町長を決めるのは住民の直接投票です。都道府県の知事も選挙で決めています。その選挙をやめて「議会で決めるべきだ」と主張する人はほとんどいませんでした。それなのに首相だけ「議会で決める」というやり方が続いていたのは、憲法で定められていたからだったのです。
「ならば、その憲法を改正すればいいのに…」と考える人は多かったのですが、今日までそれがなかなか実現できなかったのです。その理由は「憲法改正を伴う」からだったのです。
日本では、公の場で憲法改正を話題にするだけで「右翼!」とか「再軍備論者!」というレッテルを貼られて、激しく非難された時代が長く続いたのです。何故かというと、「憲法を改正する」ということは、そのまま「第9条を廃棄する」ことだと思い込む人たちが多かったからでした。
「憲法改正絶対阻止!」を公約にする政党もありました。
実は、憲法では第96条に、改正の手続きが定められたいたのです。憲法自体が改正することを認め、想定しているのに「改正は絶対に阻止する」ということは、そのこと自体が、重大な憲法違反に相当するということに気づかない人が多かったのです。
「憲法改正絶対阻止!」を金科玉条にように叫ぶだけで、「自分は偉大なる平和主義者である」と思い込んでいた国民はやがて減ってきたのです。そして、「憲法を改正するにしても当面は第9条に触れるのは止そう」という考えをする人たちが増えてきたのです。
第9条以外のことであれば、「改正を必要とする」と考える人は多かったことが、やがて国中に知られるようになりました。そして、「憲法は何から改正しようか?」と考える人たちの間で意見が一番早く一致したのが「首相の選び方を変える」ということだったのです。
憲法を改正するためには国会の議決と国民投票が実施されることになります。しかし、国民の中には、まだまだ「憲法改正=第9条の破棄=軍国化」と思い込んでいる人も少なくなかったのです。
そこで、初めての国民投票は、「憲法67条の改正だけを問う国民投票」というネーミングが強調されたのです。
「首相公選が実現させよう」という願いは、党派を超えて大多数の国会議員の賛同を得ることになりました。同じ政党の中でも長老議員よりは、若い世代の議員ほど賛成だったのです。
それは「馬鹿らしい労力を使って党内での立場を築くよりも、直接、国民に働きかけたほうが確実に首相になれる」と考えた議員が多かったのです。それ故に共産党の議員も公明党の議員も「憲法第67条だけの改正」に賛成するようになったのです。
だからこそ、衆議院も参議院も憲法第96条で定める「3分の2以上」の賛成を得て可決されたのです。その改正部分をわかりやすく並列すると下記のようになりました。
《現在の憲法第六十七条》
@内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行ふ。
A衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより両議員の協議会を開いても意見が一致しないとき又は衆議院が指名の議決をした後国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは衆議院の議決を国会の議決とする。 |
《第六十七条の改正案》
@内閣総理大臣は、国民の直接選挙で指名する。選挙方法は、法律でこれを定める。
A内閣総理大臣の任期は三年とする。連続しての四選、及び通算十五年一ヶ月以上、その任に留まることを禁止する。
B内閣総理大臣は、国会の総議員の三分の二以上の賛成があったときは任期内であっても60日以内に首相選挙を実施しなければならない。 |
そして「憲法第六七条が改正案の通りになると、それに関連して憲法第六条の第1項も修正する必要が生じてきます。そのため第6条の改正案も一緒に国民投票にかけられることになったのです。
《現在の憲法第六条》
@天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。 |
《第六条の改正案》
@天皇は、国民の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する |
初めての国民投票は、改正案に賛成か反対かが問われました。
結果は、もうご存じの通りですね。
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