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納
得
で
き
る
も
の
を
残
し
た
い
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い
つ
も
い
ま
を
楽しんで
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こう考えて生きてきた
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そ
の
間
に
何
を
す
る
?
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あ
と
千
日
の
命
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私が中学生のときに、あの『愛と死をみつめて』が大ベストセラーになり、吉永小百合、浜田光夫の青春コンビで映画にもなりました。その中でいまも鮮明に覚えている場面があります。
不治の病で死を直前にしたミコが病室で恋人のマコに宛てた手紙に書いた「神様へのお願い」を郵送するのを待ちきれずに、東京に居るマコに電話で読見上げるところです。
「私に元気な3日間を下さい。最初の一日はあなたと二人きりで小さなアパートの一室で過ごしたい。二日目は実家で両親と3人で過ごして最後の親孝行がしたい。最後の三日目は、誰もいない部屋で一人静かに短かった私の人生を振り返りたい」
確か、このような内容ではなかったでしょうか。
これが、もし自分だとしたら、どうするだろうか?
「自分の命があと一日しか無いとしたら?」「1週間しか無いとしたら?」「一ヶ月しか無いとしたら」「1年間だとしたら?」………。その映画を観てから、私はこの「想定」が頭から離れたことがありませんでした。
もし、自分の人生が「あと一日」しか無かったら、私は妻と過ごし、書類や通帳、資産と負債についての整理を託すしかないでしょう。
もし、「あと1週間」だとしたら、私は妻と一緒に、母や、姉、甥、姪たちに会って「最後の別れ」を伝え、残された時間を、友人たちに宛てた「最後の手紙」を書くことで過ごすでしょう。
もし「あと1月」だとしたら、妻と一緒に国内や海外で行きたいと思っていた場所を訪ねてみるでしょう。
でも、もし「あと1年」だったら、どうでしょうか?
「友人知人たちとの別れを惜しむ」ことだけで貴重な時間を使い切ってしまうのは「勿体ない」と思うのではないでしょうか? 私は「何かまとまったモノ」をこの世に残したいと思います。
「最後の1年間」を「死んだ気になって」自分の時間を注げば完成することで、どうしても後生に自分が残しておきたい、というモノは何でしょうか? あるいはコトかもしれません。
私にとってはそれは「本」でした。いままで9冊の著書を出してきましたが、「小久保の渾身の1冊」というほどもものではありませんでした。本当は意に添わなかった著書もありました。
もし、自分の命が「あと1年」だったとしたら、「これだけは書き残しておきたい」というものが、今年の01/02から書き始めた『近未来寓話集』なのです。3年前に着想し、全体構想は何度も練り直していました。でも「書いてはいなかった」のです。イヤ、書き出したことはありましたが、何度も途中で挫折してしまったのです。
理由はありました。「時間がない」「他に収入なる仕事を優先しなければならない」「登場人物が描けない」………。みんな言い訳でした。
もし、自分の命が「あと1年」だとしたら、「やり残したコトを仕上げよう」とする人は多いでしょう。
でも、もし、その「あと3年」だとしたら、どうでしょうか? 36ヶ月。1095日。切りのいい数字で1000日でもいいかもしれません。1000日あれば、まだ手がけてはいない新しいコトをゼロから始めることもできるのではないでしょうか? 心の奥で「いつかやりたいなぁ」「やれればいいなぁ」と、漠然と憧れていた未知のことにも新たに挑戦する気にもなるのではないでしょうか?
1000日あれば、自分の人生の「結果」として、自分自身で納得できるものを完成させることができるのではないでしょうか? それに、いまから、取り組んでいきます。
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