本音エッセイ 『いまから ここから 自分から』
      2003/01/01  年賀状から年賀メールへ













































 2年前から全く年賀状を出さなくなりました。何も「無駄な慣習だからい加減にここいらで思い切って止めよう」と思って決断した訳ではありません。

 「年賀状断筆」のきっかけはささいなことでした。3年前のその時は、大晦日までに年賀状を書き上げることができなかったから
だったのです。それまでは、例年通りに発送するつもりではいたのです。

 元旦に我が家に届いた年賀状を読みながら、「年賀状が来た人にだけは返事を出そう」とも思いましたが、それも時間がとれず、できなかったのです。

 せめてもと思い、来た年賀状の中で、メールアドレスが記載されている人、及び、こちらがアドレスを把握している人にだけ「賀状ありがとうメール」を送信しました。

 その時、私の気持ちの中で何かが吹っ切れたのかもしれません。小学生の高学年のころから、当然のように出し続けてきた年賀状という習慣を「どうせ、一度途切れてしまったのなら、これを機に一切に止めてしまおうか……」

 それ以来、「郵送の年賀状は止めてみよう!」と決意して、年賀ハガキを買うことすら止めてみたのです。

 その替わりに始めたのが「年賀メール」でした。実際に年が明けてから、アドレス帳の順番に沿って一人一人にメールを出すことにしています。

「それは元旦に賀状を受け取りたいという人の気持ちを考えていない自己中心的な考えである」と指摘する人がいるかもしれません。
 しかし、年末に書く賀状の文面は、どうしても新聞や雑誌に書く予定原稿のようで「本当の気持ちが込められていない」ように思えてならなかったのです。

 年が明けて実際にお正月を迎えてから感じたこと、考えたことを書いたほうが「新年の挨拶」に相応しいのではないでしょうか。
 そう思うようになってから、私のお正月は「年賀メール」を出すことが恒例なったのです。

 届いた年賀状にメールアドレスが記載されている人には、すぐに「賀状有り難うメール」を出しますが、アドレスが無い人にはまったく何の返事も出してはいません。そのことが少し気になってはいます。

 私が年賀メールを送信したいと思っている人には確実にそのメールが届く社会になっていて欲しいのです。一日も早く全ての人がeメールで連絡がつくような社会になって欲しいというのは、私個人の切実な願いでもあるのです。

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